「生きる」って何なの?
仕事を辞めて、「生きてる」実感を手に入れたやのなみです。
そんな中、命について考えさせられる出来事がありました。
①命の選別
コロナ自粛の中でせめて自己研鑽をと思い、いくつかオンラインセミナーを受講しました。そのうちの一つ、とても学びの多かった「SOIL for Change Makers」では、セミナー開始と共に家庭菜園キットが送られてきました(素敵でしょ!)。基本的にズボラな私は、自ら好んで生き物や植物を世話しようなんて考えません。枯らしてしまうのではないかと不安を覚えつつ、送られてきたラディッシュの種をまきました。家庭菜園デビューです。1週間ほどで可愛い芽が出て、その後も太陽を浴びてスクスク育ちます。毎日様子を見ては成長を記録し、もう可愛くて仕方ありません!命を育むことは愛を教わることだと大発見しました。
家庭菜園キットの説明書によると、本葉が3〜4枚出てきたら「間引く」必要があるらしい。(間引く:畑の野菜などを十分生育させるため、間の苗を抜いてまばらにする[広辞苑より])
「え!?せっかく育ったのに!?こんなに可愛いのに!?抜いちゃうの!?」
説明書には「葉が大きく元気なものを残して間引く」としっかりと書いてあります。
でも、大きかろうと小さかろうと、私にとってはみんな可愛いラディッシュちゃんです。こんな命の選別みたいなこと私にはできない!
往生際の悪い私は、別ポットを準備し、間引いた子たちを植え替えてみようと考えるのです。「私は誰も見捨てない!」と正義感を振りかざしているつもりですが、この後すぐに可愛いラディッシュちゃんが命の危機を迎えるのです。
②「生きる」と「食べる」のバランス
植え替えには成功しました。しかし、本葉が大きくなってきた頃に異変に気付きました。葉に小さなつぶつぶがたくさんついているのです。
気付いたのに…
気付いたのに!
なんとそのまま放置したのです。農家さんや家庭菜園経験者なら、ここで素早く対応できていたはずなのに…。
「きっとアブラムシか何かだろう。ラディッシュちゃんに影響があるようならその時に対応しよう。これも自然の営みだもの。」
生活にゆとりができた私の心にもずいぶんとゆとりができていたため、何ともおおらかな心で様子を見守る事にしたのです。
翌日、そのつぶつぶは蝶々の卵だと判明しました。小さくてまだ白い青虫が数匹動き始めていたのです。
「はっ!そういえばポットの周りを蝶々がひらひらと舞っている!」
何を隠そう、私は青虫芋虫の類がこの世で一番苦手です。その小さな小さな青くもない青虫にすら恐怖感を覚え、少しパニックの後、一旦見て見ぬ振りをしてしまいました。俗に言う「現実逃避」です。その後、対策をネットで検索。大嫌いな青虫に一切触れる事なく撃退する方法、かつ化学薬品は絶対に使いたくない。ヒットした「ニンニク酢」をスプレーする頃には、ちゃんと青虫になっていました。それから毎日水をやってはニンニク酢をスプレーしましたが、力及ばず…。数日後にはラディッシュちゃんの葉っぱは見事に筋だけになってしまいました。
そう「筋だけ」になってしまったのです。青虫はまだサナギにもなっていません。目の前にあるラディッシュの葉っぱに貪りついて命を繋いだ青虫たちは、食べるものを失い露頭に迷う事になるのです。あいにく周りは砂利だらけで食べられそうなものはありません。青虫を見るのも嫌な私は、彼らのその後をきちんと確認していませんが、どこかで息絶えてしまったのではないかと心配しています。
疑問1:君たちはそれで良かったのか?この世に生を受けて、達成したのはやのなみの家庭菜園を邪魔することだけ?自分の命はちゃんと繋げたのか?
疑問2:母よ。卵を産み落とす場所はそこで良かったのか?
ラディッシュちゃんを守りたいのに、青虫と戦う覚悟が持てず完全敗北の不甲斐なさ。(辛うじて直径2cmほどに育っていたラディッシュはサラダでいただきました。)
同時に、この小さなポットを眺めながら、「地球でも同じことが起こってるんだよなぁ」と胸を痛める。人間もきっと、目の前にあるものを全部貪り尽くして露頭に迷うんだ。でも人間は青虫じゃない。欲望と理性との折り合いを付けながら命を繋いでいかなくちゃ。
…と、初めての家庭菜園で大失敗して、命について考えたという、それだけの話です。やのなみ、タダでは転びません笑
やのなみはじめて物語なので、あまりにも無知な私のことは笑って許してください。
次回は、そもそもの「肩書き探しの旅」について書こうと思います。
「こんなこと企てたいんです!」
「あんなことできますか?」… などなど、
みんなで企てる、ヒミツキチのこと、
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